メノナイト ブレザレンとは

 

日本メノナイトブレザレン教団は、聖書的・伝道的・平和的なキリスト教プロテスタント教会です。日本福音同盟(JEA)に加盟しています。

 

1. 聖書的

旧新約聖書は権威ある神のことばであり、信仰と生活の誤りなき指針です。聖書は解釈され、理解され、伝えられ、宣言され、人々を変革します。

 

2. 宣教的

宣教は、神様の本質です。それゆえ宣教は、教会にとっての本質であり使命です。教会は、イエス様が「神の国」と呼ばれた状態・現実を生み出し、聖書が示す神様の価値観をこの世界に広げて実現します。

 

3. 平和的

教会は平和作りに召されています。教会は、神と人との和解、人同士の和解のためにキリスト者としての務めを果たします。

(日本メノナイトブレザレン教団の信仰告白はこちらです)


メノナイト・ブレザレン教会の歴史

A. スイス兄弟団
 キリスト教会は、中世に至って様々な問題を抱えていました。そして16世紀初頭に宗教改革者たちが現れました。ドイツのマルチン・ルター、フランスのジャン・カルヴァン などが有名です。当時彼らとは別に、初代キリスト教会の復元・ 復帰 を目ざすスイス兄弟団(ブレザレン)と呼ばれるグルーフがいました。「聖書のみ」 を信仰の基準としたのはルターなどの他の宗教改革者と同じでしたが、洗礼(バプテスマ)は罪を悔い改めキリストを信じ受け入れた者のみが受けるものと考えました。

 それでスイス兄弟団の人々は、幼児の時に受けた洗礼 は無意味であるとし、もう一度洗礼を受けなおしました。このことから、再洗礼派(アナバプテスト) と呼ばれるようになりました。しかし幼児洗礼を受けないことは、当時の教会に属さないことになります。彼らは分離主義者として異端視され、弾圧・迫害を受けるようになりました。


B. メノナイト教会の形成

 16世紀中ごろ、オランダの再洗礼派のメノー・シモンズは、再洗礼派のグループを組織しその指導者と なりました。彼に従う人たちはメノー派(メノナイト)と呼ばれ、政治と教会の分離を唱え、兵役を拒み、平和主義を貫きました。しかし迫害を受け、ドイツ南部やフランス東部などに移り住みましたが、 ここでも重税を課され自由を得ることは出来ませんでした。

C. メノナイト・ブレザレン教会の誕生

 18世紀後期になって、迫害を受けていたメノナイトの人たちは、当時のロシア政府から信仰の自由、兵役の免除、納税の免除、教育の自由などを特権を受けて、現在のウクライナ南部の土地に入植しました。しかし新たな入植地では良き指導者に恵まれず、信仰の後退を余儀なくされました。やがてドイツ敬虔派の牧師の影響をうけ信仰の復興がおこり、メノナイト・ブレザレン教会が誕生しました。19世紀後半に入り、ロシア政府が当初の特権を破棄し迫害が始まったため、メノナイト・ブレザレン教会の人々はカナダやアメリカ合衆国などに移民し現在に至っています。

D. 日本のメノナイト・ブレザレン教会の誕生
 戦後間もなく北米メノナイト・ブレザレン教会の人々は、日本に宣教師達を派遣しました。そして関西地方を中心に布教し20を超えるメノナイトブレザレン教会が生まれました。現在東海地方には豊田市を初め和合、藤ヶ丘小牧桑名に教会があります。メノナイトブレザレン教団のホームページはこちらです。